『ブラックボックス』

作 市田ゆたか様



【Ver 3.12】

「現在98度で保温中です」
「ピッ、蒸発のため水量が3リットルに減少しました。給水します」
F3579804-MDの顔に表情が戻った。
「給水が完了するまでは自由に動けるってことだから、なんとか給水を先延ばしにする方法を考えましょう」
そう言って水道に向かう足を止めた。
「そこのドアから出られるかしら」
F3579804-MDは向きを変え、歩き出した。
一歩、二歩、三歩と慎重に歩みを進めるが、何にも制限されている様子はなかった。
ドアを開け、もう三歩歩いたところで、手足のケーブルが限界に達した。
目の前にはこの前はずしたばかりのケーブルが垂れ下がっている。
F3579804-MDはケーブルを付け替えようと左手のコネクタからケーブルをはずそうとした。
「給水に不要な動作は禁止されています」
F3579804-MDはくりと後ろを向き、元の部屋に向かって歩き出した。
「不要な動作って…ケーブルを抜くことが…給水に必要な動作だけで逃げ出せるかしら」ドアを閉め、水道に向かい、蛇口に口をつけた。
「給水中…3リットル…3.5リットル…3.85リットル…給水完了しました。今なら逃げ出せるかも…給水のため温度が75度に低下しました…沸騰を開始します。わかってるわよ」
F3579804-MDは再び左手のコネクタからケーブルをはずそうとした。
カチリ。今度は問題なくはずすことができた。
「ピッ…外部電源が一系統切断されました。予備系統に切り替えます。電力が不足のため沸騰用電力を節電します。やった…78度…わ、これで沸騰までの時間が稼げるわ。あとはバッテリーを探せば…ピッ、ピピッ操作マニュアルを展開します」
電子脳にバッテリーの形状やセットのための手順が浮かび上がった。
「メインバッテリーは背中のハッチに、補助バッテリーは胸の中にセットするのね。背中は難か…85度…しいから胸のほうだわね」
そういって、両手を胸の谷間に当てると、指先ほどの小さなくぼみが見つかった。
「ここを押せばいいのね…ピッ、キャビネットオープン」
軽く押してみると、メイド服ごと観音開きのドアのように開き、大きな空洞が現れた。
F3579804-MDは恐る恐る中に手を入れてみる。
「すごいわ、心臓も、肺も、何にもないわ。やっぱりロボットなのね。この奥の端子がバッテリー接続用ね」
両手で胸のふたを閉めた。
「…ピッ、キャビネットクローズ」
胸を閉じると、台所の中をくまなく探したが、バッテリーはみあたらなかった。
「駄目だわ、見つからないわ。もうすぐ…95度…沸騰してしまうわ。仕方ないから今回はあきらめるしかな…ピッ、沸騰完了、保温開始」
F3579804-MDは再び両手をエプロンドレスの前で軽く重ね合わせた直立姿勢になった。
「いわね…ピッ、ポットに温水があります。命令がないため温水の維持を行います」
そういって微笑み、動きを止めた。



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